STORY

奥出雲町の物語

こんな化け物、見たことない

 日本最古の歴史書『古事記』に記されているヤマタノオロチ伝説は、出雲平野を潤し宍道湖に注ぐ大河、斐伊川の源流のある鳥髪の地(船通山)にはじまります。
 1つの体に8つの頭と8つの尾をもち、目はホオヅキのように真っ赤、体にはスギやヒノキが生え、腹はいつも血がにじみ、山や谷をまたぐような巨大な大蛇、ヤマタノオロチ。ゴジラも顔負けのこの怪物をスサノオノミコトが退治する伝記は、神楽や浄瑠璃の演目にもなり時代を超えて語り継がれてきました。娯楽のない時代、このインパクトのある英雄伝は、ある種のエンターテインメント性も含み、人々の心に強く刻みこまれたに違いありません。

神の追放からはじまる、ことのはじまり

 この物語の主人公であるスサノオノミコトは、日本の最初の男の神様であるイザナギノミコトの鼻から生まれた神様です。鼻は息の出るところ、つまり風が吹き起こる源とされ、暴風雨の神とする説があります。
 海原の統治を任されていたにも関わらず、国を治めず、成人しても子どものように泣きわめくばかり。おまけに田の畔や溝を壊したり、生きた馬を逆剥ぎにしたり、と目に余る悪事を働いたのでとうとう神様たちの世界である高天原(たかまがはら)を追放されてしまいます。

ヤマタノオロチ退治のてんまつ

 高天原を追放されたスサノオが降り立った場所が、肥河(現在の斐伊川)のほとりの鳥髪の地でした。
 川上から箸が流れてきたことに人の気配を感じ、川をさかのぼると、泣いている老夫婦と娘に出会います。老夫婦の名はアシナヅチとテナヅチ。娘の名はクシナダヒメ。話を聞くと、「毎年この時期になるとオロチがあらわれて、8人いた娘のうち7人も食べられてしまった。今年もその時期が近づき、このままでは残りの1人のクシナダヒメも食べられてしまう」という。そこでスサノオはクシナダヒメとの結婚を前提にオロチの退治を約束します。

 さっそく退治の準備にとりかかったスサノオは、クシナダヒメを守るため、彼女の姿を櫛に変え自分の髪にさしました。そしてアシナヅチとテナヅチに家のまわりに垣根を張り巡らせ、その垣根に8つの門を設けること、さらに門ごとに全部で8つの桟敷をつくること、そこに何度も醸造した強い酒を満たした桶を置いておくことなどの指示を出しました。
 すべての準備を整えたところに姿をあらわしたオロチは、8つの桶にそれぞれ頭を突っ込んで酒を飲み干し、酔っぱらって寝てしまいます。この瞬間を狙っていたスサノオは、すかさず剣で斬りかかりましたが、その刃が尾の部分に達したときに刃が欠けてしまいます。不思議に思ったスサノオが中を切り裂くと、「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」が出てきました。
 見事にオロチを退治したスサノオは「草那芸之大刀」を姉のアマテラスに献上し、クシナダヒメと暮らす場所を求めて「須賀非山」にたどり着きます。ちなみにここで「我が心、すがすがし」と発したことからこの山の名がついたのだそう。尚、この地には明治時代までスサノオを祀る須賀非神社がありましたが、現在は三成八幡宮に合祀されています(雲南市の須我神社の説もあり)。また、スサノオはクシナダヒメとの間に子孫をもうけましたが、やしゃごの孫、かつ娘婿(『日本書紀』では別説あり)にあたるのが縁結びの神として名高い、出雲大社の祭神、オオクニヌシです。

荒れ狂う川から田畑を守れ!

 高天原から追放されたスサノオノミコトは、自力で生きていかなければなりませんでした。そのための土地さがしとなると、食べるのに困らないところが条件だったはずです。
 斐伊川は『古事記』で「肥河」と記されているとおり、水中には鮎、鮭、鱒が群れ、岸には穀物や桑、麻が実る肥沃な土壌をもたらす恵の川。しかしその一方、洪水のたびに氾濫を繰り返し、人々の暮らしをおびやかす存在でもありました。
 ヤマタノオロチの正体は、その荒れ狂う斐伊川の状態を指すという説もあります。そして、そのヤマタノオロチの生贄にされそうになったクシナダヒメは『日本書記』では「奇稲田姫」と表記される、稲田の女神。また、退治の秘策となった酒は、米や五穀が原料。この物語は、人の生命を左右する田畑で展開されているのです。
 スサノオノミコトは、暴風雨の神であった自らが、若い時分にひきおこしてしまった洪水を鎮め、人々が豊かに暮らせる土壌の再生に躍起になったのかもしれません。

元祖、花咲かじいさん?

 このヤマタノオロチ神話は『日本書紀』にも記されていますが『古事記』とは、別の表記が見られます。まず、自分の子であるイタケルとともに高天原を追放された点。そして二人が降り立ったのは、鳥髪ではなく、新羅(しらぎ)の国でした。そこから船を使って船通山にやってきたのです。
 ヤマタノオロチを退治した後、スサノオノミコトは、自分の髭や胸の毛、眉毛などを抜いて土に散らし、人の暮らしに役立てる有用樹林をつくり出します。イタケルについても、高天原からもってきた樹種(こだね)を各地にまいて森をつくり、木の国(現在の和歌山県)に鎮まったという、植林に関する記述があります。
 奥出雲では古代より、たたら製鉄がおこなわれていました。それには炭の原料となる大量の木材が必要です。朝鮮半島から渡ってきたスサノオノミコトとイタケルは、日本よりさらに進んだ大陸の製鉄技術や現状を見て、自然と文明の共生に欠かせない資源循環の重要性を説いたのでしょう。
 また、その使者に、たたらの炎を昼夜燃やし続けるのに必要な「風」を起こす力をもっている、暴風雨の神、スサノオノミコトが選ばれたのも興味深い点。神も人も適材適所。必ずそれぞれの能力や特性をスムーズに生かせる場所があり、「循環」の輪の中でなにかしらの役割を担って存在しているのです。

当時の情勢を物語る鋼の剣

 そして忘れてならないのが、物語のクライマックスに登場する「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」の存在。
 ふつうなら、ヤマタノオロチをやっつけた剣が崇められるべきところ、尾を切り裂いている最中に、ヤマタノオロチの中にあった「草那芸之大刀」に当たって刃が欠けてしまいます。
 この記述が示唆するのは、スサノオノミコトが持っていた剣は銅製で、ヤマタノオロチが持っていた剣は、当時の最先端の技術でつくられた鉄(鋼)製であるということ。
 スサノオノミコトがこの剣を、アマテラスに献上したというストーリーは、当時の出雲と大和の関係を暗示しており、出雲は大和に従っていたことが伺えます。
 ちなみに「草那芸之大刀」は、のちに「草薙(くさなぎ)の剣」といわれ、天皇家の「三種の神器」のひとつとして、代々受け継がれることになります。

一覧へもどる