奥出雲町の季節
町内の酒蔵の軒先に杉玉がつられたら「新酒ができました」の印。
米どころ、奥出雲の仁多米と大自然に育まれた水を使って生み出される日本酒には、自然の恵みがたっぷり。町内では酒蔵見学や新酒の試飲などが楽しめる「ヒカミの新酒祭り」が開催され、県内外から大勢の日本酒ファンが訪れます。
ポーンと勢いよく樽が割られ、今年の鏡が開いた瞬間、
あたり一面に飛び散る甘い香り。
町に春を呼び込む、めでたい香り。
「春」のバトンは町から山へ。
山里の春は、時間をかけて町を巡ります。
冬の間、静かに眠っていた山々に、やわらかなきみどり色の若葉が芽吹いたら、山の神、川の神もお目覚めです。まずは、各山各所で「山開き」「川開き」のご挨拶をして、いざ入山。雑木林に包まれた奥出雲の山々は、どこも表情豊かで魅力的ですが、特に、春の訪れを感じさせてくれるのは、その昔、スサノオノミコトが降り立ったといわれる船通山。山頂付近で自生するカタクリが見られるとあって、登山者にも人気です。
ちなみに、カタクリの花言葉は「初恋」。薄紫の可憐な花がうつむいて咲く様子を少女の恋にたとえてのことでしょう。木々の葉が茂るまでの短い間にしか咲かない、尊き命。
春は進み、奥出雲では「田植えツツジ」と呼ばれるヤマツツジが山を彩ります。赤,紫紅,朱紅色の花が見えたら、田植えのはじまり。
かつて砂鉄をとるため切り開いた斜面を棚田として活用している奥出雲。広大な耕地のため、田植え機を使うところが主ですが、地区によっては「花田植え」を行うところも。
これは、田の神に豊作を祈願する伝統行事で、男衆の太鼓の囃子に合わせ,揃いの笠をかぶり絣の着物に身を包んだ早乙女たちが唄いながら手植えをします。ただでさえ重労働の田植えを明るく乗りきるための工夫でもあったのでしょう。
水面にずらっと並んだ早苗は、どれも上を向いています。空に向かって背伸びするように、ピンと。
鏡のように周囲の景色を写す鏡田が、稲の成長とともに青田に変わるころ。
農作業が一息つくのをねらって、お楽しみの「笹巻き」づくり。
もち米粉を使ったおだんごで、各家庭によって笹の巻き方が違います。かんざし巻きや軸巻き、ほうかむりといろいろな巻き方がありますが、正式とされるのは桔梗巻き。
男の子の初節句のお祝いのお返しの際に用いられる、華やかな巻き方で、400年に渡って続く奥出雲の旧家「絲原家」が、この巻き方を今に伝えています。
できあがったおだんごは、砂糖醤油につけて食べるのが一般的。さわやかな葉の香りと、もちもちの食感に、たまらず、もう一個……。夏を元気にのりきるエネルゲン。
梅雨明けと同時に、すこーんと抜けるような青空が広がり、本格的な夏の到来を感じさせる、7月の末。
東は大山、西は三瓶山、遠く日本海まで望むことができる船通山の山頂では、毎年恒例の「宣揚祭」が行われます。
『古事記』によると、船通山は、高天原を追放されたスサノオノミコトが降臨したといわれる地。ヤマタノオロチを退治した際、オロチの尾から「天叢雲剣」があらわれたことを記す石碑の前で、スサノオノミコトに扮した宮司によって、悪をなぎ払う勇壮な剣舞が奉納されます。
青空のその先の天に向かって、今年の夏も安全でありますように、地域が繁栄しますようにと。
お盆も過ぎ、テレビから流れる高校野球の決勝戦。まだいってほしくないのに、夏のおしりが見え隠れ。
そんな夏の終わりに「三成のあたごさん」と呼ばれる、300年の歴史をもつ三成愛宕祭りが開催されます。会場には、15m×15mほどの大きさの布に描かれたお城が出現。
これは、江戸時代の中ごろ、若者たちが地元の人々を驚かせようと、祭りの前夜渋紙に描いた城を、やぐらを組んで張りつけたという故事にならったもの。
日没につれて、どんどん賑わう夜店。
昔ながらの芸を伝える神代神楽と仁輪加の舞。
夜空にどんどんと舞い上がる花火と火薬の匂い。
夜半まで続くにぎわいも、夜が明けたら、またいつもの日常。「幻の一夜城」のように。
稲の頭が垂れたら、いよいよ稲刈り。黄金色に波打っていた稲を刈りとったあとの刈田には、稲ハデが建ち並び、景色は一気に秋めいてきます。
各地域の社寺では、五穀豊穣に感謝する祭りが行われ、秋風の中、男衆の威勢のいい声や祭囃子があちらこちらから。
特に阿井八幡宮の「押輿祭り」は、勇壮なお祭りとして有名で、たくさんの見物客が訪れます。
ふくらはぎ丈の短めの絣の着物にたすき掛けをした約100名の男性が2組に分かれ、神社の石段上から投げ落とされた約150kgの神輿を押し合うというもので、小じんまりした境内は熱気でむんむん。
押し合い圧し合いのあとは、むしろに腰かけ、木笏を手にした神主を前に、獅子と巫女の舞が奉納されます。
ピーヒャラ、ピーヒャラ
コンチキチキチ
一年で一度。神様もこの日を楽しみにしておられるかもしれません。
収穫の時期。お米はもちろん、山里の奥出雲で忘れてならぬ名物があります。それは「呉汁」。
かつて奥出雲では、各家庭で大豆を収穫しており、その名残が郷土食となって残っています。
大豆を水に浸し、すりつぶした「呉」を、野菜を入れたみそ汁に加え、弱火でじっくり火を通し、汁の表面にフツフツと大豆の泡が膨らんできたらでき上がり。
ふわふわとした食感とまろやかな風味が、体にやさしく染みわたる、ふるさとの味。
秋の色が野や山に深く入り、赤や黄に色を変えた葉が町をにぎわすころ、県内外から「新そば」を目当てに、大勢の人が押し寄せます。
新そばがとれる11月初旬から2週間にわたって開催される「奥出雲新そばまつり」は、横田地域にある各そば店舗でとれたての新そばを堪能できるほか、地元のそば打ちグループによる実演販売もあるとあって、どこで何を食べるか作戦を立てねばなりません。
割子や釜揚げ、江戸時代から栽培されていた地そばの「横田小そば」……。
道すがら、何を食べようかと考えるのも楽しい、そば道楽のための2週間。
「花よりだんご」もとい、「紅葉よりそば」。
空気はしんと静まり、空は鈍色。鼻の奥がツンとしたら、そろそろ雪が降る合図。
鼻をさすあの独特の匂いの正体は「土」なのだそう。大地が雪で覆われてしまう前に、しばしの別れを告げにやってくるのかもしれません。
春にまた会いましょうと。
この一年もそろそろ終わりですよと。
例年、雪が積もる中、大晦日を迎える奥出雲。住民は雪をもとかす「仁多乃炎太鼓」の音を聞いて年を越します。
太鼓は古来より神様と交信するための祭具。どんどんとお腹にまで響く迫力のある音は、雷音にたとえられ、雨乞いや邪気払いを願って、神様に呼びかける役割を担っています。
どどどどどどど……
天にのぼる太鼓のリズム。今も昔も願うは同じ。
みんながしあわせでありますように。
お正月の楽しみといえば、やっぱりお雑煮。
全国各地、いろいろなお雑煮がありますが、お米自慢の奥出雲では、まず、地元産の「仁多米」の丸もちが欠かせません。そこに風味を加えるのは、日本海側の十六島(うっぷるい)で手摘みされた岩海苔。
鰹だしを醤油で味つけたすまし汁に、清酒でほぐした岩海苔の香りが漂う、極めてシンプルなお雑煮です。
山から遠い「海の恵み」を加えるのは、昔の人にとっては贅沢なことだったのかもしれません。
素朴で粋なお雑煮に、この土地の地域性が透けてみえます。
町全体が白銀に染まるころ、大呂の製鉄施設「日刀保たたら」で火入れ式が行われます。
日本古来の製鉄方法・たたら製鉄では、母体となる粘土の炉に原料の砂鉄をくべ、木炭で火をおこして「玉鋼」と呼ばれる、最高品質の鋼を生み出します。
必要なのは自然と人の知恵の融合。
たったそれだけ。されどこのプリミティブな仕事は、環境にも人にも理想的な美しい仕事。
毎年、寒さが最も厳しくなる1月中旬に操業を開始し、2月初旬までの間に計3回行われる「たたら」の操業。一般公開はされていないので、ニュースや新聞などでひっそりと知ることになるのです。
「今年の火が入った」のだと。
世界で唯一、たたらの炎を燃やし続けている「日刀保たたら」は町の誇りです。