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奥出雲町ってどんなまち?

奥出雲町の場所

奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を境に鳥取県と広島県が接しています。日本海側の出雲市や松江市からは約1時間、瀬戸内側の広島市からは約2時間、車にゆられて到着する「奥の町」。といっても、山に閉ざされた閑寂なところではなく、ぽっかり開けた明るい盆地が広がる、のどかな山里です。
 光がいきわたる美しい丘陵の尾根つたいに広大な棚田が広がり、その先には悠然とそびえる山々。船通山、鯛ノ巣山、玉峰山、吾妻山、三郡山と登山客にも人気のある山が、町を見守るようにとり囲んでいますが、これらはいずれも『古事記』や『出雲風土記』に記された、謂れのある山。ことに、船通山はスサノオノミコトが降り立ったといわれる伝説の地で、未知なるロマンを秘めています。
 この船通山を源流に宍道湖へと注ぐ斐伊川は「ヤマタノオロチ」神話の舞台であり、言うなれば、このエリアの風土のもと。本町だけでなく、出雲地方全体の暮らしを支えてきた清流です。
というのも、奥出雲の大地は上質な磁鉄鉱を含んでいるため、地層を濾過して湧き出る水には鉄分が含まれます。斐伊川流域の肥沃な大地は、この天然のミネラル水が生み出したものなのです。
 正直、どこの都市からも遠いので、気軽に立ち寄れるところではありません。ですが、だからこそ「奥」には人をひきつける力があります。「奥は源」、「奥ははじまり」。パワースポットという言葉では片づけられない、生きるエネルギーに満ちたところです。

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奥出雲町の歴史

山間にしては、不自然なくらい大きく開けた解放的な視界。……そう、不自然なんです。
 実は、ぽっかり開けた大地のいくつかは、人の手によって開拓された人工の耕地。
 良質な砂鉄がとれたこの地では、「たたら」による鉄づくりが盛んに行われていました。かつて、砂鉄を得るため山を削った跡が、この広く緩やかな耕地の正体。先人たちは、採取跡地を荒廃させることなく、棚田として活用し、「仁多米」という産物を生み出したのです。
 「たたら」による産物は、これだけにとどまらず、採取跡地の地ならしに使われたそばが「横田小そば」に、運搬に使われた牛が「奥出雲仁多牛」に、商売で必要だったそろばんが「雲州そろばん」に……。また、トロッコ列車が走ることで有名なJR木次線も、町の産業が「鉄」から木炭に移り変わる際、鉄師・絲原家の13代目、武太郎氏が運搬目的で開通させたもの。
 すべての道は「鉄」に通ず、奥出雲。「たたら」から広がる産物が、先人たちの記憶を受け継いでいます。

そろばんの枠
大原新田
木次線トロッコ列車

奥出雲町の気候

平坦部で概ね標高200〜400m、県境部の高所ては200mを超える峰が続き、約1000mの標高差がある奥出雲町。そのため同町でも気温差が大きいのが特徴です。
 平坦部では、夏の日中の気温は都市部と変わらず30度を超えることもありますが、夜は冷房がなくても過ごせるどに下がります。高所は夏でも常に冷涼で、山開き後の玉峰山や吾妻山ではキャンプサイトのオープンも。
 冬は12月から雪が降り始め、2月の中旬頃まで降雪があり、町全体が雪に覆われます。多いところでは1m前後の積雪も。12月末〜2月末までは「三井野原スキ-場」でスノースポーツを楽しめます。

稲穂田んぼ
鯛の巣山 春
鯛の巣山 冬