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奥出雲町の物語

鉄を生む、豊かな大地

 たたらとは、古事記や日本書記にもその名が記されている古来より続く日本の製鉄技術です。
 材料は母体となる炉をつくる粘土、熱源の木炭、そしてタネとなる砂鉄のみ。ただし約2.5トンの鉄の塊(鉧・けら)をつくるのに、木炭は約12トン、砂鉄は約10トンと、とてつもない量を要します。特に木炭は森林面積に換算すると1ヘクタールの木々を伐採しなくてはならず、たたらを操業するには、大量の木炭と良質な砂鉄を調達できる豊かな森林がある場所が絶対条件でした。
 その条件に適っていた奥出雲では、古くからたたらが操業され、733年に編纂された「出雲国風土記」でも、このあたり一帯で鉄の生産が行われていたことが記されています。

本家本元の地団駄を踏む

 古代から江戸時代にかけ、道具や設備の改良を積み重ねながら、製鉄技術が極められていく中で辿りついた製法のひとつに「鉧押し法」があります。これは、木炭の燃焼によって砂鉄を還元し、鉄や鋼を得る方法で、三昼夜、ふいごで風をおこし炎を燃やし続けなければなりません。不眠不休の過酷な作業の中、炉の中で鉧が育っていく様は、人智を超えた神々しさ。尚、たたら操業に関するいっさいの技は、村下(むらげ)と呼ばれる技師長がにぎっており、一子相伝門外不出とされています。
 「奥出雲たたらと刀剣館」では、これら一連の流れの解説や材料や道具の資料を公開しています。なかでも「ふいご」は、さまざまな種類を展示しており、直に触れられるものも。往時、ふいごに従事する人を「番子」と呼び、1時間踏み続けて2時間休むという交代作業であったため「かわりばんこ」という言葉が生まれたといわれています。また、「地団駄を踏む」という言葉は、足踏み式のふいごの「地蹈鞴(じたたら)を踏む」が変化したもの。映画「もののけ姫」でも、ふいごを踏むシーンが描かれていましたが、たたらがいかに、人々の暮らしに影響を及ぼしていたかを伺えるエピソードです。

類のない「玉鋼」のポテンシャル

 いろいろな道具の元になる鉧ですが、その使い道は、含まれる炭素の量によって決まります。一般的に炭素量多いものは硬く、かつもろい性質で、少ないものは柔らかく、粘り気があります。「鉧押し法」は、炭素量の少ない鋼の製造を目的につくられますが、鋼以外の銑(ずく)や歩鉧(ぶけら)を身にまとった状態で生まれてきます。それらはさらに鍛錬され、包丁や鎌などの刃物に。そして鉧の中で、一級品とされる部位の「玉鋼(たまはがね)」は、日本刀をつくるのに使われます。刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」ことが条件。しかし「折れない」ためには鉄が柔らかくなければならず、また「曲がらない」のには、鉄が硬くなければなりません。この一見、矛盾する性質を合わせもっているのが玉鋼。鍛錬や熱処理によって粘りや硬さを出すことができる、唯一の素材です。
 ちなみに刀をつくる際、刀匠と弟子が、真っ赤に熱した玉鋼を何度も叩いて折り返す作業を「鍛錬」といいます。互いの息がぴったりのときは「トンテンカン」とリズミカルに聞こえるのに対し、息が合わないときは「トンチンカン」と聞こえるそう。それはわたしたちの日常生活でも同じこと。自分の心に耳を澄まし「トンチンカン」とチグハグなリズムが聞こえたら、調子がくるっている証拠。心を整えに、旅に出る合図かもしれません。

鉄師は文化の伝道師

 たたらが最も盛んにおこなわれた江戸時代。松江藩には、たたら従事者を率いる「鉄師御三家」という中心的存在がいました。そのうちの二つ、絲原(いとはら)家と櫻井家は、奥出雲に居を構え、今でも当時の面影を残す屋敷や庭園を見ることができます。
 両家に伝わる貴重な資料や収蔵品からもわかるように、往時の鉄師は、たたらの操業者だけでなく、原料となる木炭や砂鉄の採取から、それらの運搬に関わる人までをも抱えた領主のような存在でした。屋敷には、商人はもちろん、文人や画家、藩主までもが訪れ、産、学、官の要として機能。また、鉄の商いに伴う交流で和歌や俳諧、茶道、書画などの文化がもたらされ、人々の暮らしにも大きな影響を及ぼしました。特に「雲州そろばん」は、商いの際に使われていたそろばんが、この地で品質向上化され、のちに特産となったもの。現在、国の伝統的工芸品に指定されています。

ものづくりの根源を教えてくれる、たたらの炎

 「鉄」の漢字は、「王」の部首が入っている「鐵」がルーツ。この漢字があらわすように、古代から近代にかけて、たたらは文明発達の要因となりました。しかし産業革命以降、生産効率において高炉を用いた洋式の製法に太刀打ちできず、大正後期に静かに終焉を迎えます。
 しかし日本刀の刃をつくれるのは、玉鋼だけ。このままでは、たたらはおろか鍛刀の技術も途絶えてしまいます。これに危機感を覚えた財団法人日本美術刀剣保存協会の努力により、1977年、奥出雲町に「日刀保たたら」が開設され、昔ながらの玉鋼が全国の刀匠へ供給されています。
 どんなに技術が進歩しても、洋式の製法ではつくることのできない玉鋼。そこにプリミティブなものづくりの重要性を感じずにはいられません。効率や生産性を追求する近代工業とは違い、自然との共生がたたらの精神。自然と産業の理想的なバランスが奥出雲にはあります。

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