1923年、横田の岡崎喜一郎氏(横田郵便局長・八雲銀行取締役)が「救世軍横田小隊会館」として献堂しました。
会堂は、救世軍(キリスト教の一派)の活動だけでなく、併設する相愛幼稚園、相愛裁縫女学校の活動にも使用されていましたが、昭和恐慌により岡崎喜一郎の経営する共愛洋行(銀行)が倒産したことや戦時色が強まる中でキリスト教活動が衰退したため、明治以来、会堂は横田郵便局として1937年から1972年まで使用されました。その名残で、現在もなお、教会内には郵便ポストがあります。1939年、町内で大火があり、火災は町内の家々を焼き尽くし会堂の前まで燃えましたが、かろうじて会堂は焼失を免れました。1978年、会堂は、横田郵便局から横田相愛教会の礼拝堂として再生し、1979年、「近代日本の名建築」に選ばれました。1996年、文化庁の登録有形文化財になりました。